原作関係なしに「ユリゴコロ」は見るべき

ネタバレを含みます。ご注意ください。

 

 吉高由里子さんが主演の「ユリゴコロ」を見た。

 

 終わった後、あまりの衝撃に、感情が追いつかなかった。外に出ても、池袋の人の多さと賑わいに靄がかかったようで、どうしてここに立っているんだろうと思ったほどだ。

 

 原作者の沼田まほかるさんは本屋さんでよく見ていたから知っていた。「ユリゴコロ」映画化と聞いて文庫の表紙が思い浮かぶほど印象に残ってたけれど、読んだことは無かった。

 

 

 なんてもったいないことをしていたんだろう。

 

早く原作を読まなければ。

映画の余韻が冷めやらぬまま本屋さんに行った。

  

 そして読み始めて思った。

 

 

 

 

 

え? 原作と全然違うやんけ。

 

 

 

 

 登場人物がシンプル

 

 

 映画「ユリゴコロ」は、公式ホームページの相関図を見れば関係性は理解できる。

 

しかし原作は、亮介に弟がいる。

美紗子の妹、両親、祖父母まで出てくる。

 

大渋滞である。

 

 映画の方が必要な人物だけを残して、簡略化したストーリー展開です。

 

 

美紗子中心

 

 

 原作が亮介(松坂桃李)中心なのに対して、映画は美紗子(吉高由里子)中心。

 

 ミチルちゃんとのシーンや、みつ子とのシーンが、印象的に描かれています。

 

衝撃的なシーンでも、私は優雅にポップコーン食べてたんですけどね。

 

 現実世界になじめない美紗子が、唯一安心していられる「ユリゴコロ」の世界。

 

 それが彼女にとってどれだけ神聖で、代えがたいものなのか。

そうせずにはいられない、そうすることが彼女にとって息をするのと同じくらい自然なことだったのに、殺せない存在ができるのです。

 

 松山ケンイチ演じる洋介。

 

美紗子の行いのせいで絶望の中生きていた彼が、彼女の唯一無二の人間になるなんて。

「運命」は彼らのための言葉としか思えません。

 

 

アナタだけがアナタ。アナタは私のアナタ

 

 

「ごめんなさい、アナタ」と言うシーンが出てきます。

これがどれだけ重要なのかは、原作を読んでいないと分からない。

 

 美紗子にとって、「アナタ」と呼ぶのは洋介だけで、

彼によって美紗子は嬉しい、とか、愛しいという感情を持つようになった。

 

 けれど、アナタに殺されることだけが私の救いだと考えるようになってしまう。

 

切ないという言葉では足りない。上手い表現があれば、だれか教えてほしい。

 

 殺すこと、「ユリゴコロ」、どれも理解できなかったとしても、

吉高由里子の美紗子に引き込まれてしまう、そんな映画です。